タイに来るまでの事

月
私は 1993年 4月にタイに駐在で赴任してきました 本当に暑い日 幼稚園を先日卒業した息子

汗をかきかきランニング 小さい手を握り やっていけるのかなー 家内も玉の汗 熱帯の地へ着ました


実家の家業 私は三男 日本でアパレル業を営み 16年間 日本国内生産 自家工場もあります

十数年来 苦楽を共にしてきた外注の職人さんたちが十件程いました 私の服作りの先生達です

私が高校生の時からのお付き合い 免許取り立ての私 仕事の配達 子供に接するようにあれこれ 教えてもらい

その時 縫製の事 プリントの事 その他ありとあらゆる事 覚えていきました おやつも何時もご馳走に

本当は実家の仕事ではなく 造園業目指していたのですが 実家の家業忙しく懇願されこの世界へ

その後 卸業 小売 企画 すべて経験していくのですが この職人さん達と一緒に歩んできました

時代はコスト利益を求め 海外生産へと 拝金主義の兄達はバブルの土地上昇で手に入れた資金を元に

海外へと目を向け 工場進出して行くのです 次男がタイでの工場立ち上げ 潤沢な資金で500人の工場

国内生産その時 月産5万枚 輸入品もあわせ 年商12億円 程の中堅アパレル 微妙な立場

それが タイの工場で 月産10万枚作り一気に 会社大きくしたかったようです それから四年

タイで事業大きくなる中 人材不足 日本での生産月3万枚まで減産してましたが 維持してました

ある日 タイで1000人規模にする計画が タイの次男からの条件が私のタイ駐在とのこと

私がその時 MD業務 営業売上のある部分の比重あったので 長男も悩んだようですが 私に打診

国内生産 全面中止 コストあわない  そんなわけ無い しっかり利益出ている!

コストあわないと言うのは タイでのコスト対比考えて? 何の事なのだろう わけ解らない

その時の私 まだそれを跳ね除けるすべ 考える事も出来ず 組織の人間でしかなく せざるえなかった

それから苦悩の日々 十数年会社の近くにまで引越しして来た職人さん うちだけの仕事しているところ

出来るだけ 良い先紹介したい 何とか皆がこのままでいけるようにしたかった

その時 アパレル業界は海外生産に目が向き 国内を広げる事などあまり?まるで目が向けられなく

バブルもピークを過ぎ かげりが見え出していた頃 海外から安価な物が入り利益見込めてた頃

思うようにつなぐ事も出来ず 終わりにしないといけない日が近ずいて 眠れない日々

明日 みんなに 正直に伝えよう あやまるしかない  しかたない   あやまるしかない

だれも私を 攻め立てる人はいません  それが私には更に辛い 怒ってください 罵声浴びせてください 

しかたないね   年だからどの道そんなに出来ないから  タイ行っても頑張ってね

私は 今まで 教えをうけ 色んな事身につけさせて頂いた 人達に 何をしているのだろう

  断腸の思いでした   今でも夢見ます  人生で最大の汚点と思っています

その後  みなさんは  高齢化も有りましたが 廃業を余儀なくして行く事になりました

今思うと その時 自分も退社すればよかった 人生の道変えればよかった 今でもそう思います


お金が 秩序や平和までもを 身近に脅かす お金を右左している奴らが大きな顔をしている

物作りなど 低賃金の人間のする事 お金ぶら下げれば何でもやる そんなの下請け困らせばいいんだ

自分達は 汗もかかず 利益だけは取るだけとる  そんな事を海外に出てでもやっている

それに携わる 回りにも  モラルの無い資本主義など 所詮 こんなこと 悪魔の行い  

この後タイに来て いろんな事が起き 今に至るのですが 書いてる内に辛くなってきたので

また 追々続き 書こうと思います。    しんどいな